大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1657号 判決

原告

大住靖子

外一名

代理人

川上悍

被告

片桐洋

外一名

代理人

田中登

外一名

主文

被告らは各自原告大住靖子に対し金二七九万五三八七円およびこれに対する被告片桐洋は昭和四四年三月三日以降被告石巻秀治は同月二日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告大住靖子のその余の請求および原告大住貴良の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。

この判決は、原告大住靖子勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

第一  請求の趣旨

一、被告らは各自原告大住靖子に対し金九五八万円、原告大住貴良に対し金三〇九万円および右各金員に対する被告片桐洋は昭和四四年三月三日以降、被告石巻秀治は同月二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

第二  請求の趣旨に対する答弁

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第三  請求の原因

一、(事故の発生)

原告靖子は、次の交通事故によつて傷害を受けた。

(一)  発生時 昭和四三年四月三日午前一一時四〇分頃

(二)  発生地 東京都新宿区市谷河田町一一番地先路上

(三)  加害車 普通自動車(六五年型ダットサン)

運転者 被告石巻

(四)  被害者 原告靖子(歩行中)

(五)  態様 被告石巻は、先行するトヨペットクラウンとの間隔を十分にとつていなかつたため、右クラウンが反対方向から原告両名とその友人の計三名が道路の向つて右端をコンクリート塀に添うようにして歩行して来るのを見て僅かに左にハンドルを切つた際、加害車の左前部を右クラウンの右後部に接触させ、そのためハンドルを右にとられ、このとき右斜前方の道路右端に原告らを発見して衝突の危険を感じて、急ブレーキを踏んだつもりのところ、アクセルを踏み、速度を上げて突進して原告靖子を加害車とコンクリート塀との間にはさみつけた。

(六)  被害者原告は左大腿骨、左下肢血管損傷め傷害を受け、そのため左大腿三分の一(膝関節の上約一〇糎)に切断、又、右下腿骨々折の傷害を受け、更に全身打撲症のため当時妊娠七ケ月の胎児を死産するに至つた。

(七)  また、その後遺症は自賠法施行令別表等級の四級五号に相当する。

二、(責任原因)

被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償する責任がある。

(一)  被告片桐は、加害車を所有し自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任。

(二)  被告石巻は、事故発生につき、前方不注視および急制動をとるべきところアクセルを踏んだ過失があつたから、不法行為者として民法七〇九条の責任。

三、(原告靖子の損害)

(一)  義足代

原告靖子は、前記のとおり左足大腿部を膝関節以上で切断したため、義足を使用する必要があり、義足は接触する足の部分の形が歳月を経ると変るので、三年毎に更新する必要があるところ、同原告の平均余命は四五年であるから、肢足は一五足必要であり、四五万円の支出が必要である。

(二)  逸失利益

原告は、前記後遺症により、労働能力が低下し、主婦としての家事労働について金銭的に評価するとその額は一九五万円余と算定される。

(事故時)二九歳

(稼働可能年数)二六年

(労働能力低下の存すべき期間)二六年間

(収益)月収一万八八〇〇円(サービス業に従事する女子の平均月間定期給与額)(労働能力喪失率)八〇パーセント(右喪失率による毎年の損失額)一八万〇四八〇円

(年五分の中間利息控除)ホフマン複式

(年別)計算による。

(三)  慰藉料

原告靖子の本件傷害による精神的傷害を慰藉すべき額は、前記の諸事情および次のような諸事情に鑑み六一八万円が相当である。

すなわち、同原告は、一生忘れることのできない激痛を味い、左足を膝関節以上で切断し、生涯を通じて極度の不自由を忍ばなければならなくなり、又、出産を楽しみにしていた矢先、妊娠七ケ月の胎児を死産したことに対する精神的苦痛は絶大である。

四、(原告貴良の損害)

原告貴良は、原告靖子の夫であるが、本件事故によつて、生涯連れ添うべき妻が、前記のように左足膝関節以上で切断したことおよび妊娠七ケ月の胎児を死産したことにより、夫として受けた精神的苦痛は甚大であり、その精神的損害を慰藉すべき額は、二〇九万円が相当である。

五、(弁護士費用)

以上により、原告靖子は九五八万円、原告貴良は三〇九万円を被告らに対し請求し得るものであるところ、被告らはその任意の弁済に応じないので、原告らは弁護士たる本件原告訴訟代理人にその取立てを委任し、原告らは八〇万円を、手数料および報酬として支払うことを約し、そのうち三〇万円を支払つた。

六、(結論)

よつて、被告らに対し、原告靖子は九九八万円、原告貴良は三四九万円の支払を求め得るところ、そのうち原告靖子は九五八万円、原告貴良は三〇九万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日(被告片桐については昭和四四年三月三日被告石巻については同月二日)以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四  被告らの事実主張

一、(請求原因に対する認否)

第一項中(一)ないし(四)は認める。(五)は具体的態様を争う。(六)は傷害の事実は認め(七)が、部位程度および流産の点は不知。るは不知。

第二項中(一)は認め、(二)の具体的内容は争うが、被告石巻に過失があつたことは認める。

第三項は争う。殊に、(二)については、事故当時、原告靖子は家庭の主婦であつて、現実に収入を得ず、又得る見透しもなかつたので、逸失利益は否定されるべきである。仮に、家事労働が金銭的に評価できるとしても、労働能力喪失率を八〇パーセントとする理由はない。義足等によつて、行動能力を回復することが可能である。

第四項は争う。

原告両名は、事故当時法律上の婚姻関係にはなかつた。仮に内縁の夫も近親者としての慰藉料を認めるとしても、本件では「死にも比すべき」傷害とは云えない。

二、(事故態様に関する主張)

被告石巻は、訴外高藤実運転のトヨペットクラウンに追従し時速約三〇粁で本件事故現場にさしかかつたところ、不意に路地の奥から一米以上の四角い製図板を持つた原告らの進路に現われたため、驚いた訴外高藤はハンドルを左に切ると同時に急ブレーキをかけて停車した。被告石巻は直ちにブレーキを一杯ふんだが、一旦ブレーキにかかつた足が右に滑り、一瞬アクセルにかかつてしまつて、加害車は停止せず、訴外車の後部右側に左前部が僅かに衝突し、その反動で右方に振られた加害車が右前方交差点角のガレージに衝突した。なお、そのガレージは、下部五、六〇糎がコンクリート壁で、その上部は木製である。

三、(抗弁)

(一)  損害の填補

原告靖子は本件事故発生後、自賠責保険金より二〇六万円の支払を受けたので、右額は控除さるべきである。

四、(和解無効)

原被告間に、昭和四四年一二月二二日、被告らは連帯して原告靖子に対し既払金の他に四〇〇万円を昭和四五年一月二〇日限り支払うことを主たる内容とする訴訟上の和解が成立したが、被告代理人は既払金としては治療費を念頭においていたところ、自賠責保険より慰藉料として既に二〇六万円が支払われていた。ところで、四〇〇万円の金額は、後遺症補償一〇六万円を含めて四五八万円の裁判所の提示額に対して原告が譲歩して四〇〇万円となつたのであるから、慰藉料二〇六万円が既払であれば、これは被告代理人の要素の錯誤によつて、四〇〇万円の案に同意したことになる。

したがつて、右和解は要素の錯誤に基くものであつて、無効である。

第五  抗弁事実に対する原告らの認否

二〇六万円の受領は認める。

第六  証拠関係〈略〉

理由

一(和解無効について)

昭和四四年一二月二二日、原告被告間に、被告らは連帯して原告靖子に対し既払金の他に金四〇〇万円を昭和四五年一月二〇日限り支払うことを主たる内容とする訴訟上の和解が成立したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、被告らは右和解は要素の錯誤に基づくものであつて無効であると主張するので按ずるに、右和解成立の過程において、入院に対する慰藉料三三万円、通院に対する慰藉料三万円、後遺症補償としての慰藉料二〇六万円、胎児流産に対する慰藉料二〇万円、計二六二万円の慰藉料と財産的損害一九六万円を加えて合計四五八万円の和解案を裁判所案として提示したのに対し、被告代理人から更に譲歩されたい旨の申入れがあつて、折衝の結果前記和解が成立したのであるが、被告代理人は既払金としては治療費を念頭においていたのであり、後遺症に対する慰藉料二〇六万円を含ませる意図はなかつたことも亦当裁判所に顕著である。ところが、その後被告代理人の調査により、後遺症に対する慰藉料として自賠責保険金二〇六万円が原告靖子に支払われていることが判明し、同原告も二〇六万円の受領したことを争わない。したがつて、前記和解は被告代理人に要素の錯誤があつたものと認められ、無効であるといわざるを得ない。

二(事故の発生)

請求原因第一項ない(四)しの事実は当事者間に争いがなく、(五)のうち、加害車を運転していた被告石巻が原告らとの衝突を避けるためブレーキを踏むべきところ、誤つてアクセルを踏んでしまつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告靖子は、そのために加害車とガレージのコンクリート壁との間に挾まれたことが認められる。〈証拠〉によれば、同原告は本件事故により、左大腿骨、左下肢血管損傷、右下腿骨折、顔面切創の傷害を受け、左大腿骨、左下肢血管損傷のため昭和四三年四月一五日左大腿を膝関節の上で切断したこと、同年四月四日から七月一三日まで東京厚生年金病院に入院し、その後同病院に九回通院し、同年一二月一三日左大腿義足を作成したこと、本件事故の二日後である昭和四三年四月五日午後二時二分交通事故による全身打撲のために妊娠七ケ月の胎児を流産したことが認められ、〈証拠〉によれば、同原告の大腿切断の後遺症は自賠責施行令別表等の四級五号に当るものと認められる。

三(責任原因)

(一)  被告片洞が加害車を自己のために進行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

(二)  被告石巻に過失のあつたことも当事者間に争いがない。よつて、被告両名は損害賠償の不真正連帯債務がある。

四(原告靖子の損害)

(一)  義足代

〈証拠〉によれば、原告靖子は左大腿を切断したため、義足が必要となつたこと、義足は二年ないし三年に一回は取りかえる必要のあること、原告は事故当時満二九歳であることが認められ、厚生省第一二回生命表によれば満二九歳の女子の平均余命は46.26年であることが認められる。したがつて、前記の昭和四三年一二月作成の義足を第一のものとして、長くとも三年に一回取りかえるものとして、三年毎に一足の割合で合計一六足が必要であることとなる。ところで、弁論の全趣旨によれば、義足一足は少くとも一万五〇〇〇円を要するものと認められる。したがつて、一六足の金額から年五分の中間利息をホフマン式計算法で控除すると、現在値は、

となる。

(二)  逸失利益

〈証拠〉によれば、原告靖子は本件事故当時、主婦であつたことが認められる。

被告らは、現実に稼働していない主婦は現実に収入を得ていたものではないから、その逸失利益を考えることはできず、その損害を認めるべきではない旨主張するが、傷害事故による損害とは、傷害の結果支出される個々の費用とか現に得ていた収入を得ることができなくなつた収入自体の減少等ではなく、負傷それ自体を以て損害と解すべく、いわゆる積極損害・消極損害・慰藉料などは損害額算定のための手段に過ぎないものと解するのが相当であるから、主婦が負傷して労働能力が低下した場合には、その労働能力の低下を金銭的に評価する手段として、いわゆる逸失利益として算定することは可能である、と解すべきである。そして、その算定にあたつては、被害者が家庭の主婦である場合にはその家庭における具体的な労働の質と量とに応じて算出することが可能な場合には具体的事情を考慮すべきものであるが、具体的な事情について主張・立証のない本件においては、勤労女子の平均賃金を斟酌して具体的金額を定めるのが相当である。

ところで、〈証拠〉によれば、昭和四三年における勤労女子の平均賃金は、原告主張の月収一万八八〇〇円を下廻ることはないものと認められる。

そこで、原告靖子の労働能力喪失率について按ずるに、〈証拠〉によれば、同原告の後遺症は自賠法施行令別表等級の四級五号に当るが、義足を使用することによつて労働能力はかなり回復し、日本式に生活することは非常に困難であるが椅子式の生活であれば日常家事は可能であり、生活様式如何によつて労働能力喪失率は主婦の場合三〇パーセントないし六〇パーセントと評価し得るというのであつて、労働基準監督局長通牒(昭和三二年七月二日基発五五一号)の定める労働能力喪失率(四級の場合は九二パーセント)は本件においては決定的な基準とはなし得ないが、これを斟酌すると、本件においては原告靖子の労働能力喪失率は五〇パーセントを以て相当と認める。

原告靖子は前記のとおり事故当時二九歳であつたから、少くとも原告主張の満五五歳まで二六年間は労働が可能であつたものと認められる。

したがつて、右期間の労働能力の喪失を逸失利益として評価し、これから年五分の割合による中間利息を年毎のホフマン式計算法によつて控除すると、

となる。

(三)  慰藉料

本件事故の態様、傷害の部位程度、流産したことその他諸般の事情を総合斟酌すれば、原告靖子の慰藉料は二六二万円を以て相当と認める。

五(原告貴良の損害)

〈証拠〉によれば、原告貴良は本件事故当時原告靖子と内縁の夫婦であり、事故の数日後に婚姻届をしたことが認められるが、原告靖子の前記傷害の程度が生命侵害にも比肩すべき場合又は右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたものとは未だ認められないから、原告貴良には近親者としての慰藉料請求は認められない。

六(損害の填補)

原告靖子が自賠責保険金として二〇六万円を受領したことは当事者間に争いがない。

七(弁護士費用)

以上により、原告靖子は、被告らに対し、第四項の(一)ないし(三)の合計四五九万五三八七円から第六項の二〇六万円を控除した二五三万五三八七円を請求し得るものであるところ、〈証拠〉によれば、被告らはその任意の弁済に応じないので、原告らは弁護士たる本件原告訴訟代理人に本件訴の提起と追行とを委任し、手数料および報酬として八〇万円を支払うことを約し、そのうち三〇万円を支払つたことが認められるが、本件訴訟の経緯に鑑み、被告らに賠償せしめるべき金額は二六万円を以て相当と認める。

八(結論)

よつて、被告らは重複部分は連帯して原告靖子に対し二七九万五三八七円およびこれに対する訴状送達の日の翌日(被告片桐は昭和四四年三月三日、被告石巻は同月二日)以降支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、右の限度で原告靖子の請求を認容し、同原告のその余の請求および原告貴良の請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。(篠田省二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例